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  • ひょっとこ

自殺について

さて、かの有名なショーペンハウアーの「自殺について」を、

このブログの記事の題にするのはいささか傲慢かもしれません。


ただ、今回の記事はかの「自殺について」から端を発するお話なので、

少しだけタイトルをお借りしました。



「自殺」は私の中で大きなテーマです。

そうした中で、ショーペンハウアーの「自殺について」は、

その明瞭なタイトルから、すぐに自殺に興味津々な私に目を付けられました。

ひたすら易しく、そして力強く書かれた論考に、私はすぐに虜になりました。

それまで、過去の哲学者たちの意見を紹介し、

最終的な判断は読者にゆだねるような入門書を読んできた私にとって、

力強く自殺を否定することを否定する彼の文章は、非常にわかりやすく思えたのです。

機会があれば、読んでみてください。

驚くほど優しく、易しい文章で書かれていますから。



実は、この記事で書きました、

「自傷と言うものは心の痛みを『それどころじゃなくなる』するために行われるのではないか」という考えも、ショーペンハウアーの論考に依るところが大きいのです。

彼は、精神的な非常な苦痛にさいなまれている者にとって、肉体的な苦痛はもののかずではない、それどころか一種の休息となると述べているのです。



ショーペンハウアーといえば、厭世的な世界観で有名ですが、

彼の「自殺について」も、厭世的と言えば厭世的です。


彼は自殺を否定しません。それどころか、肯定さえします。



彼は言います。

「一体誰にしても自分自身の身体と生命に関してほど争う余地のない権利をもっているものはこの世に他に何もない」(岩波書店,佐藤信治訳)

この一言が、私には「自殺」という枠を超えて、非常に優しいものに聞こえるのです。

この一言から、「自分の生命の権利は自分が握っているのだから、その権利を行使して、あるがままに生きていいんだよ」というメッセージすらくみ取れるのは、私の思い過ごしでしょうか。



とにかく、ショーペンハウアーによれば、私たちには「自らの生命に終止符を打つ権利すらある」のです。


私たちは、それが「自殺」という形だとしても、「自分らしく生きる」権利を持っています。ショーペンハウアーの言葉は、そう語りかけてくれているように私は思うのです。


それはらば、「自殺」という権利を選んでしまえばそのほかの権利は使えなくなるのは自明ですから、

「自殺」という権利を行使する前に、他の権利を行使してみませんか、というのが私の持論です。


それは「仕事を休んで好きなことをしてみる」でもいい、

「昼間から酒を飲んで酔っ払う」でもいい、

「好きな人とだけ仲良くして嫌いな人はとことん嫌ってみる」でもいい、

「好きなように放蕩して暮らす」でもいい、

「やるべきことに熱心に取り組む」でもいい、

とにかく「自分自身の身体と生命に関しての争う余地のない権利」を行使してみる。

そうしてみてもいいんじゃないか、と私は思うのです。





大丈夫、それがたとえうまくいかなくても、私たちには「自殺」という最上の権利が待っています。

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病気の話

どうも、ひょっとこです。 最近死にたい話ばかりですね、このブログ。 もっときれいなことを書けばいいのに。 鳥のさえずりや花の香りの美しさとか。 とはいえそんなものを文章にするほどおしゃれな人間ではないので、 今日も死にたい話をします。 大体我が家で聞こえる鳥の声は大概カラスの声ですし、 花も身近にありません。サボテンはあります。 さて、突然ですが、 死にたさに取りつかれたことはありますか。 毎日毎