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人生は諦めに満ちている



私は希望を唇に噛みつぶして 私はギロギロする目で諦めていた ああ、生きていた、私は生きていた!

(中原中也「少年時」より)



生きることは、諦めることだと思うのです。

少なくとも、私にとってはそうなのです。



私は、生きていることに積極的になれない人間ですので、ある種の爽やかさをもってして「生きることを諦める」ことが生きていく鍵になると、個人的には感じています。

四半世紀生きてきて、ようやくたどり着いた自分なりの答えです。



「諦め」は「覚悟」に似ています。

どの程度こちらの意志が積極的か、どの程度能動的かという違いはありますが、

どちらも、困難なことに対して腹をくくることに他なりません。

すなわち、生きる「覚悟」することが難しいのであれば、

生きることを「諦め」ることが必要なのです。




寺山修司さんの、「青少年のための自殺学入門*」では、何かが足りないことを理由とした自殺は自殺とは言えないとしています。

経済的な困窮から死んだのなら、それは経済に殺されたのだし、

病を苦にして死んだのなら、それは病死だと。



なぜ急に自殺の話をしたかというと、自ら生きることと、自ら死ぬことは、表裏一体であると考えているからです。



20世紀初頭、それまでは精神錯乱や経済的な困窮による「死」であった「自殺」の認識がやや変容し、藤村操の自殺を皮切りに、「厭世自殺」、すなわち、「内在的な意思に基づいた能動的な自殺(貞包,1973)*」が増加iし始めます。

この自殺の在り方こそ、「自殺学入門」で「自殺」と呼ばれている死に方であるものと思われます。



さて、動物は普通、死にたくありません。生きていたがります。

これは、種の保存のために、生き物に組み込まれた基本的なプログラムです。

そうであるならば、「能動的な自殺」という行動は、摩訶不思議です。



そういえば、また話が脱線しますが、ショウペンハウエルの「自殺について*」では、自殺志願者は精神的な苦痛が大きいがために肉体的な苦痛をものともしないと語られています。

すなわち、肉体的な苦痛を避けて生きようとするという生命のプログラムに従えないほどに、精神的な苦痛が大きくなった時、相対的に死に伴う肉体的な苦痛がそれを下回った時、人は自殺すると考えられています。



では、能動的な自殺はどうして起こるのか。

これは、その自殺が「能動的」である以上、自殺をするという意思を「諦められなかったから」だと思うのです。



ここで、冒頭でお話した「諦め」が少し関わってきます。



「自殺」と「諦め」は、よく結び付けられます。

自殺とは人生を諦めることだ、とよく言われます。


しかし、本当にそうなのでしょうか。

私は、自殺は「諦められなかった人」がするものなのだと思います。

自殺が能動的なものである以上、それは意思なのですから、

死にたい、生きていたくない、こうありたい、という意思を、諦められなかったのです。






ごちゃごちゃした話はここまでにして、

私なりの「諦め」のお話をします。



私は、諦めています。

それはもう、諦めています。

「自殺を」ではありません。いえ、そりゃあ自殺も諦めましたが。

「生きること」を、諦めています。



いえ、「生きること」”に”諦めていると言った方がよいかもしれません。

すなわち、必死ではないのです。

世の中に諦めています。自分にも諦めて、将来にも諦めています。



このブログでも何回か書きましたが、私は、

私が今ただ「在る」だけの状態であると思っています。



未来にたいする「こうありたい」

過去にたいする「こうすればよかった」

現在にたいする「こうあるべきだ」

他人にたいする「こうしてほしい」

すべて、必要なものではありますが、それと同時に、ある程度は諦めるべきものでもあります。

「死にたい」すら、諦めています。

だって、今ここの私は「死んでいない」のだから。



各々、「今ここ」に「在るだけ」であって、ただ、その事実だけが確かなのですから。




大事なのは、適度に諦めて、「今ここに在ること」を事実として受け入れることなのだと思います。

能動性や意思を捨てて、たゆたうように生きていきたい、という諦めです。



したがって、私の人生は諦めに満ちているのです。





話が長いわりにまとまらずごめんなさい!!

実は自分でも何が言いたいかよくわからないまま記事を書いていたら、こんな感じになってしまいました。

お詫びにかわいい猫の写真を貼ってお茶を濁しておきましょう。








かわいいなぁ~~~~~!!!!






*寺山修司(1994).「新装新刷 青少年のための自殺学入門」 河出書房

*貞包英之ら(2016).「自殺の歴史社会学 『意思』のゆくえ」 青弓社

*ショウペンハウエル(1851),齋藤信治(訳)(1952).「自殺について」 岩波書店

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病気の話

さて、かの有名なショーペンハウアーの「自殺について」を、 このブログの記事の題にするのはいささか傲慢かもしれません。 ただ、今回の記事はかの「自殺について」から端を発するお話なので、 少しだけタイトルをお借りしました。 「自殺」は私の中で大きなテーマです。 そうした中で、ショーペンハウアーの「自殺について」は、 その明瞭なタイトルから、すぐに自殺に興味津々な私に目を付けられました。 ひたすら易しく