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  • ひょっとこ

ケアされることについて

どうも、ひょっとこです。

生きています。

布団から出たくありません。


自傷の話が出てくるので、苦手な方はこの先はご遠慮ください!

この記事は、自傷行為について個人の体験を書いていますが、

自傷行為を肯定する意図は一切ありません。

ご了承ください。



さて、しばしばこのブログでも取りあげている自傷の話なのですが、

実はここ一か月ほど、少なくともリストカットという方法では自傷をしていません。

これは私としても喜ばしいことです。

この背景にはいろいろな要因があると思うのですが、

私なりに考えてみると、理由は2つ。



1つ目。


前の自傷で懲りた。


これは大きいと思います。

自傷癖とは一年以上お付き合いしているのですが、

これまで自傷の大半はカッターで行ってきました。

ですが、前回の自傷(一か月ほど前)は、包丁を使いました。





ご丁寧にしっかりと研いでから使いました。

ええ、シャーシャーと研いでから使いましたとも。

おにばばかよ。


するとまあ、傷が深くなってしまいまして。

今でも私の腕には生々しい傷跡が残っているのです。

写真をあげるわけにもいきませんが、

腕に何匹もの赤い蛭が張り付いているような状態をイメージしていただけると、

わりと実際の傷に近いのではないかと思います。


これは、当然ですが、自業自得です。

自分で切って、傷跡がついた。それだけのことです。

ただ、視覚的にそこそこのインパクトがあるので、

自分でも少しビビります。

それと同時に、なんというか、言い方があっているのかわかりませんが、

これ以上自傷をしなくても「傷が常にそこにある」状態なので、

自分の腕を見るたびに、妙な安心感というか、「これ以上はいいか」という気持ちになるのです。



視覚的なインパクトだけではありません。

少し生々しい話をします。

前回の自傷では、本当に死のうとしていたので、手首を切り落とすつもりでゴリゴリと切っておりました。

おそろしいことですね。


皮膚の表面は、簡単に切れます。

その下の脂肪も、深く切れば黄色い顔をのぞかせてくれます。

ここまでは刃がすっと通るのです。もちろん血は出ますが。


問題はその先。


皮膚を切り脂肪を切り、

「そろそろ血管を切れるかな」と思っていたのですが、

読みが甘かった。

とんだ邪魔者が現れたのです。


神経なのかなんなのかわかりませんが、

手首の中の何か固い筋のようなものに刃があたったのです。

なんというか、ギリギリという音が出る感じで、

包丁を使っているはずなのに、糸鋸でも引いているような感覚なのです。


しかもめちゃくちゃ痛いのです。

あの感覚は、実際にやらかした人じゃないとわからないと思います。


私は右手を使って左手首を切っていましたが、

切っている右手で刃を引いて固い何かをぎりぎりと削る感覚と、

切られている左手の手首の中で固い何かがぎりぎりと削られる感覚。

その両方を一度に体験しているわけです。


黒板を爪でひっかくような、なんとも言えない不快感。

痛み自体には耐えられても、その不快感には耐えられませんでした。

あの感覚は、正直もうあまり味わいたくないな、と思いまして。

少しだけ自傷からは距離を置いているわけです。






2つ目。これは1つ目以上に大きな理由だと思います。

それは、


ケアされる体験をしたこと。


私の自傷は、もともとはそこまでたいそうなものではなく、

少しカッターで傷をつける程度でした。

ですが、鬱の症状の悪化とともに、

自傷の傷もどんどんと深くなっていきました。

そしてとうとう、前々回の自傷では、手首の脈をとるあたりをぱっくりやってしまいました。

自分で傷をつけたくせに、翌朝自分で外科の病院に駆け込みました。

ここの病院の先生と看護師さんがとても良い方で、

私の手首を見るなり、


「自分でやっちゃったの? 大丈夫、大丈夫だからね」

と、優しく手当てをしてくれました。




(生まれて初めて、傷口を縫われる体験をしました。案外痛くないんですね)


これは、私にとって大きな体験でした。

考えてみれば、今まで自分を傷つけるだけ傷つけて、その傷は放置していました。

誰かにその手当てをしてもらえるという体験は初めてだったのです。

こんな奴のこんな傷でも治してくれようとしている人がいる。

その事実自体が、私にとってはなんだか温かくて、柔らかくて、

居心地の良いような悪いような現象だったのです。



ですが、私はその先生方を裏切るような行いをしてしまうのです。



それが前回の自傷。

なんと私は、外科の先生に縫っていただいたところと全く同じところを、

またもやぱっくりと切り開いてしまうのです。


なんという愚行!


腕を切り刻み、部屋中を血だらけにして、

それでも死ねなかったので、その日は寝ました。

それから2日間ほど傷を放置して、

さすがにまずいと思い、泣きながら外科の先生のところに行きました。



(自分で死にたくて傷をつけたのに、治療はしてもらうのか、とツッコまれそうですが、

私の希死念慮や自傷行為は嵐のようなもので、過ぎ去ってしまうと後は「どうしよう」という戸惑いだけが残るのです)



せっかく治療してくださったのにまた同じことをしてしまった、

その申し訳なさと自分の惨めさに、泣きながら診察室に入りました。

先生は、ごめんなさいと泣きながら謝る私に対して、

「謝らなくていい」と、優しい声でおっしゃってくださいました。


これもまた、私にとっては大きな体験でした。

これまで自傷をするたびに両親に叱られ、精神科の先生にも叱られていたので、

自傷は「謝るべきこと」であることが当然だと思っていたのです。

いや、もちろんたくさんの人に迷惑をかける行為ですから、

謝るべきことだとは今でも思っているのですが、

叱られずに温かく治療してもらえるということが驚きだったのです。


と、同時に、


「私の体を大事に思ってくれる人がいるなら、私ももう少し自分の体を大事にしてもいいんじゃないだろうか」と思ったのです。

それまでは自分なんてどうなってもいいと思っていたのですが、

「そういうわけでもないのかも」と思い始めました。



今まで自傷のことでいろいろな人に叱られてきましたが、

そもそも私自身が自分の体をどうでもいいと思っていたので、

空き缶のゴミをつぶすような気分で自傷をしていました。

それが、他人にケアされるという体験を通して、

根本にある自分の体への価値観が変わったような気がするのです。

「傷ついても死んでもどうでもいい体」から、

「傷ついたらちゃんと心配してもらえたり治してもらえる価値のある体」へと、

少しだけ私の中で枠組みが広がったのでした。



他者からケアされる体験は、その人が自分自身の存在を許すことにつながる、重要な体験である。


ということを学びました。



とりあえず、もう自傷はしばらくしたくありません。

やるたびに傷が深くなっていくので、

今度は本当に手首を切り落としてしまいかねません。

何より、外科の先生にまたご迷惑をおかけしたくないのです。








ペンギンかわいい!!!!!!!

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